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だらだらと色々書いていこうと。ブログです

混乱からの脱出

前の記事の続きになります。
前の記事を読み返して、自分は少し混乱していたのだと感じた。
同情という言葉のマイナスな部分に囚われていた。

同情は、相手が苦しんでいる姿を見て、その辛さを自分自身が感じる。感情の同一化である。これは相手が苦しんでいる状態が前提条件なので、感情が同一化する場合は苦しさを自分自身が感じる。マイナスものを受け止める。そこに何かしら優越的なものを同情という言葉に感じ、飲み込まれてしまった。

共感することは、相手のマイナスなものに同一化することばかりではない。相手が嬉しい時、その喜びが自分のものみたいに嬉しい。また、同じ作品で同じところで笑うとなんだか嬉しい。(嬉しいという表現ばかりで申し訳ない)
ポジティブなものにも同一化する。
そこには、自分に相手と同じところ、同じ目線が介在していている。それに僕はやっと気付いた。

共感するとは、相手の悲しいことも嬉しいことも、自分の中の同じところと同じ目線を感じて想起することだ。

そこには、上からの目線もなければ、相手の痛みを奪うことで相手の成長を阻害するという思いというおこがましいものもまったくない。

そのことにやっと気付いた。他の人には当たり前なのかもしれないと思うと恥ずかけれど、気付けてよかったと思う。