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だらだらと色々書いていこうと。ブログです

書くこと

昨日に続けての更新です。

 

 この記事は、途中で意味が不明になるかもしれません。なぜなら、読者(他者)を意識しないで書くからです。文章を書くのだったら、読者に理解してもらう様に書くのが、基本ですが、今回は許してください。

まず、今回の記事を書くきっかけについて

僕は、ブログでもtwitterでも、他者に文章を見せること対して、コンプレックスを抱えています。自分の書いていることが他者に理解されているか?正しい日本語で文章を書いているか?などの自意識が文章を書くことの邪魔をしているのです。普段はノートに文章を書いています。それは、去年の大掃除で使っていないノートを見つけて、捨てるのは勿体ないから使ってみようと思ったからです。ノートには、その時々に思ったことを書いています。そこでは、汚い文字ながらもある程度の量の文章が書けるのです。しかし、いざブログに書くとなったら、途端に文章が書けなくなるのです。これはどうしてなのだろうか?という疑問が浮かび、しばらく考えていました。そして、ふとある日、twitterで呟こうとしたら、手が止まってしまいました。そこで、気づいたのです。自分は他者を意識すると文章が書けなくなるということを。 

 僕は文章を書くのは好きです。時間を忘れるぐらい。でも、技術としては苦手です。その劣等感。そして、うまい文章を書きたいという自意識過剰。これが、邪魔をして文章書けなくする。好きなものが苦手。これはとても苦しいです。でも、好きなものは諦めたくありません。だからこそ、今回の記事で、今の自分の文章を書くという技術を最大限に使かってみようと思ったのです。

 好きなことがあるけれども、実際には苦手。ここでいきなり例をだしますが、現在放映せれているアニメ『アルスラーン戦記』で登場してくるナルサスは軍師としては天才的ですが、彼が描く絵はダリューンに馬鹿にされるほど才能がない。でも、ナルサスは芸術を愛していて、アルスラーンに宮廷画家の地位をもちかけられ、ナルサスはアルスラーンに仕えるようになる。ナルサスは地位や名声には興味がなくけれど、芸術は愛している。このように人は好きなものなのに、うまく出来ないことがあります。

 閑話休題

 好きなことを上手くすることは、努力とは違うどこか自己内の快楽の追求なのかもしれないと書いていて、ふと思いました。よく好きなものを得意としている人は、どうしてそこまで上手いのですか?と聞くと好きだったから。と答えることが多いような気がします。その人達を見ている人間にしたら、努力している。または、頑張っているように見える。でも、好きなものが上手い人は、より好きなものを更に

自分の理想に近づけることに快楽というか喜びというか、何かしらの良い感覚を楽しんでいるのかもしれない。その人の自己内だから相手には、見えないので、他者には努力に見える。

 でも、また書いて思ったのですが、好きなものが上手に見える人は、苦手だったけれど、血を吐くような努力をした結果、なにかしらの法則をその努力から見つけて、その法則(自分自身の方法からどのくらいの出力でそのものができるかの自己内の計算)で上手くなる効率を良くしている。けれど、その人にどうして上手いのですか?と聞くと、好きだったから。と答えるかもしれない。他者にはもしかしたら、その人は努力をしてないでその境地に達したと思うかもしれない。

 なんか書いていてわけがわからなくなってきました。今日は、ここまでが限界のようです。このわけのわからない文章を読んで頂きありがとうございました。

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